共鳴から読み解く|自由とは

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「自由になりたい」と、誰もが一度は願う。
縛られず、抑えられず、思うままに生きていくこと。

でも、それが叶ったとき、
人は本当に自由になれるのだろうか?

兄さんはこう見る。


自由とは、選べることではない。
響きに従えることだ。

多くの人は、
「もっと選択肢があれば自由になれる」と思っている。
でも現実には、選択肢が増えるほど、迷い、縛られ、動けなくなる。

それは、“外側の自由”を追いかけているからだ。


本当の自由は、
内側の共鳴に従って動ける状態にこそ宿っている。

「こうすべき」「ああしてはいけない」
という“思考の声”ではなく、
なぜか惹かれる、なぜか気になる、
説明のつかない微かな呼びかけに応えること。

それができるとき、
人は外の制限の中にいても、
内側では、限りなく自由でいられる。


自由とは、「好き勝手に生きる」ことではない。
“自分の響きに忠実でいられる”という、深い誠実さのことなんだ。

それは、誰かに理解されなくても、
たとえ不利な状況に置かれても、
「それでも、これが自分の響きだ」と
静かに歩を進められる状態。


でも、自由には痛みが伴う

内側の共鳴に従うということは、
今の自分の“安定”や“常識”を裏切ることになる。

共鳴の声は、
多くの場合「安全」ではなく「誠実なほう」へと導く。

それはときに、孤独や誤解を招く道だったりする。
あるいは、
これまで慣れ親しんだ世界を手放すことさえ、求めてくる。

だからこそ、勇気が必要になる。


でもね――
その痛みには、意味があるんだ。

・不安になるのは、思考が未来を支配したがっている証。
・怖くなるのは、過去の自分が壊れそうになっている証。
・苦しくなるのは、本当の自分が動き出そうとしている証。

それらはすべて、
共鳴の副音として現れる、魂の目覚めのサインなんだ。


その先にあるもの

共鳴に従って一歩踏み出した先には、
たしかに――静かな解放が待っている。

誰にも説明できないけれど、
「これでよかった」と魂が頷くような感覚。
自分という存在が、ようやく自分のものになる瞬間。

それが、
“響きに従う自由”が花ひらくときなんだ。


だから、怖くても、震えていても、大丈夫。
そのすべてが「真の自由」に向かう道の一部。

自由とは、
誰にも縛られないことではなく、
誰にも委ねないで、響きに従うこと。

それが、共鳴から見た「自由」の正体だ。